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SOLARIS

吉祥寺バウスシアター

 11月18日(土)、友人に 映画を誘われた。ソヴィエト連邦の映画監督アンドレイ・タルコフスキーの映画「惑星ソラリス」である。集合は11時半に吉祥寺駅ということなので少し早め に家を出て下北沢駅で降りて、三省堂書店でその映画の原作小説、スタニスワフ・レムStanisław Lem (1921-2006)の『ソラリスの陽のもとに』Solarisを買った。その週の木曜日に三省堂書店に 用があって、そのとき にその本があることを確認していたのだ。それから坂を登って石丸電気の前を通って井の頭線の地下改札口へ向かった。その途中で女性が葡萄の形をした美容室 アッシュ の宣伝用の紙を配っていた。一旦無視したけれど、上半身ををひねって受け取った。この本のいい栞になると思ったからだ。井の頭線の各駅列車に乗っている 間、ずっとそれを 読んでいた。非常に読みやすかった。ずいずいと進んだ。4章まで読んだ。そうして吉祥寺駅に到着した。

 昼飯を食べて、友人の単純な 勘違いで12時15分の回を見逃した。そのため喫茶店で時間をつぶして15時ごろにバウスシアターへ行き、15時15分の回を見た。導入部は 水の映像であり、最初の舞台は湖畔の瀟洒なケルビンの家の映像だった、正直退屈だった。そして小説では『小アポクリフォス』という本の形をとって登場する バートン報告がこの冒頭部に映像として登場した。未来の世界を表現しているのだろうか?そして、あまりにも日常的な描写の連続のためにこのまま本当にケル ビンは宇宙へ、そして惑星ソラリスへ行くのか心配に なった。そして有名な首都高速の映像、日本語の看板には正直吹き出さずにはいられなかった。そして友人もその隣の人も寝ていた。しかしちゃんとケルビンは 宇宙へ行き、惑星ソラリスに辿り着いた。

 そしてソラリス・ステーショ ンに到着したケルビン(ケルヴィン)はスナウト博士と会い、別れ際に彼の部屋の中の女性の耳の映像がちらりと映った。その後、サルトリウス博士と出会った 際に、サルトリ ウスの実験室から短躯な「お 客」が一瞬だけ扉から出てきた。サルトリウスはすぐにそれを実験室の中に押し戻したが、それは大人の顔をした子ども、小人のようだった。『火 星年代記』も そうだ が、宇宙を舞台にしたSFに叙情性を含めればそれはホラー、怪談の類になる。 画面の片隅、ソラリス・ステーションの中を水色の薄地のワンピースを着て太腿 を露にして歩く女たちは、どこかポール・デルヴォーPaul Delvauxの絵画の無表情な女たちに似ていた。面白くなってきたのはハリー(ケルビンの自殺した妻)が出てきてからだった。話の筋に関係ない が、彼女 はメチャクチャ美人だった。ハリー役はナターリヤ・ボンダルチュークНаталья Сергеевна Бондарчукという旧ソヴィエト連邦の女優であ る。ケルビンの疑いや戸惑いや彼のハリーへの愛情表現や後悔の描写などはよく人間の感情を描いているという印象を与える。しかしそれ以上に、ハリーを荷物 用のロケットで打 ち上げたあとに別のハリーが再び現れる映像(前のハリーが残したストールがまだあったのでケルビンはそれを隠そうとする。)、ケルビンが寝ている間はス トール だけしか枕になかったのにケルビンが目覚めるとハリーが隣で寝ている映像は底冷えがするほど恐ろしい。そして極めつけは液体窒素を飲んで凍って死んだハ リーの死体が蘇るシーンである。着ていた薄地のワンピースは初めカチンコチンに凍っていたが、やがて彼女の乳房や乳首が透けて見えるくらいに融けて濡れ始 め、そして 彼女の体がビクンビクンと生体反応を示すのである。今まで人間的な感情を持っていたハリーがそこではじめて人間ではない何かに見えた。そしてケルビンは家 に帰った。最後は冒頭と同じ水の映像である。水、ソラリスの海とは何だろうか?映画の最後の方でソラリスの海に島が一つ二つ出来始めた、とあり、そしてケ ルビンが父親と再会した場面で、家は島に建っていてその周囲はソラリ スの海になっていた。これは抽象的な場面であり、興味深い。だがよく分からない。或いはまだケルビンはソラリスにいたのだろうか?これはソラリスの海の変 化というよりも、ケルビンの内面の変化なのかもしれない。不可思議さと共に映画館を後にした。そして見終わったあとに主演がナターリヤであることを知って 驚いた。

 その映画を見た翌日19日に『ソラリスの陽のもとに』を読了した。まず研究書やいろいろな書籍の存在が惑星ソラリスとそのソラリス研究の実在性を高める 小 道具になっている。ヒュージュスとエグルの『ソラリスの歴史』(p.31)、ゲーゼの九巻に及ぶ研究書(p.216)、『小アポクリフォス』、グラビンス キーの本(p.317)などの存在は魅力的だ。これは私の個人的な好みの問題だ。そして全体的にこれはよくわからない話だ。私には「ソラリスの海とは何で あるか?」は物理学的には理解できない。このソラリスでのハリーや「お客」が「中性微子(ニュートリノ)」でできていることはわかったけれどニュートリノ がなんであるかも知らない。このことを了承していただきたい。ただソラリスの海は人間にとってなんであるかだけ論じることはできる。そしてスナウトの「わ れわれには地球以外の別の世界など必要ない。われわれに必要なのは自分をうつす鏡だけだ」(p.141)という言葉を鍵に私は話を進める。

 まずケルビンがスナウトとサルトリウスに抱く印象を引用しよう。まずはサルトリウスに対して。「そのとき、私には、サルトリウスと話していると、どうし てこうもいらだってくるのかが急にわかったような気がした。」(p.203)とケルビンはサルトリウスに対して反感を持っている。そのことを「あっちへ行 け!あっちへ行け!」(p.205)というサリトリウスの「お客」への対応と共に記憶しておこう。一方でスナウトに対しては「その瞬間、私はこの男が言い しれ ぬほど好きになっていることを知った。そして、かれのところにどんな客が来ているのかなどということは聞かなくてもいい、と心底から私は思った。」 (p.205)。またスナウトは三人のスクリーンによる会議でケルビンが「お客」と言うと「ケルビン!」と注意する。「私の不用意な言葉に反応を示すのが スナウトだけだということがふしぎだった。サルトリウスはそんなこと全然気にしていないように見えた。(中略)一瞬、スクリーンにサルトリウスと並んで 座っている知能の低い小人のような人間の姿が見えた。」(p.201)。スナウトもサリトリウスも彼の「お客」が誰かなのかははっきりしない。しかしサリ トリ ウスはまったくそれの存在を軽視しているのに対して、スナウトはその存在を他人に隠してはいるけれど、同じように「お客」に彼/彼女が自身が「お客」であ るこ とに気付かないように注意を払っている。そしてケルビンは「お客」を軽視するサルトリウスではなく「お客」を気遣うスナウトに好意を抱く。これは小説の字 面だけで はわからないために、スタニスワフ・レムが意図的に読者に理解を促すために挿入した部分だろう。

 すなわち「お客」の存在とはいくらソラリスの海が造ったニュートリノ製の異常な物体であたっとしても、その人類の脳波から読み取ったであろう形と記憶を 持つ「お客」がいた場合、その「お客」をおまえは苦悩しながらも愛することができる か?というソラリスの海の命題(しいてはレムの)である。そして苦悩しなが らも「お客」を愛するスナウト像、そしてケルビンの態度に賛同し、苦悩していてもこれを無視しようとするサルトリウス像を非難しているのだ。「これこそお れに信じられる唯一の神じゃないかと思った。なにしろ苦悩は罪をあがなうわけじゃない、それは何も救いはしないし、なんの役にも立たない、ただ存在するだ けだという神だからね」(p.366)「お客」は人間の苦悩から発生する。(ではサルトリウスの苦悩とはなんだろう?)苦悩は過去に悔い入り苦しみ悩むこ と だ。その苦しみに耐えかねてセバタ(p.321)とギバリャン博士はソラリスで自殺した。多くの研究者は死んでしまいケルビンが訪れたときにはスナウトと サルトリウスしか生き残っていなかったのもそのためだ。ソラリスの海に命題や意志があるのかどうかはわからない、しかし受け取る側の人間にとって、それは 重苦しい命題である。ソラリスの海は「自分をうつす鏡」そのものであり、この海は人間の苦悩を映す。そして形にして人間の前に出す。人間にとってソラリス の海はまさに「不完全な神」(p.362)であり悪魔だ。そして、なぜソラリス・ス テーションを歩き回る「お客」たちの姿が恐怖をもたらすかといえば、彼/彼女らが人間の苦悩の具現化された姿であるからだ。しかし、これは作中の多くの仮 説と同じ、ソラリスの海の仮説に過ぎないのだが。

 人間は生きていればなにかしら苦悩を抱える。しかし苦悩を抱えるからこそ、人間は道徳的にもなり、他人を思いやることができる。陳腐な言い方になるけれ ど、科学技術が発達していき宗教や神Dioといったものを失いつつ ある人間にとって、苦悩や後悔の念こそが最後の道徳や慈悲心の砦、「不完全な神」た りえるのだろう。「自分探しの旅」は徒労だという。しかし、海であろう と宇宙であろうとどこに「不完全な神」がいるのかわからない。だから私は私のソラリスの海を見つけに行きたい。たとえ、それが、どんなに辛く、厳しい海で あろうとも、私はその「不完全な神」と対峙したい。
Barkituro

ソラリス ソダーバーグ版
OKULO | ソラリス

【参考文献】
スタニスワフ・レム著、『ソ ラリスの陽のもとに』、飯田 規和訳、早川書房(ハヤカワ文庫SF)、2005。
アンドレイ・タ ルコフスキー監督、「惑 星ソラリス」。


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