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チポリーノの冒険


  『チ ポリーノの冒険』(イ タリア語:IL ROMANZO DI CIPOLLINO エスペラント:LA ROMANO DE CIPOLLINO) とは岩波少年文庫からジャンニ・ロダーリ(Gianni Rodari)作、杉浦明平訳で出版された小学校高学年向きの児童文学書である。作者ジャンニ・ロダーリは1970年に国際アンデルセン賞作家賞を受賞し た世界的にも有名なイタリアの児童文学者であり、教育者としても知られ、その教育論の概要は主に『ファ ンタジーの文法―物語創作法入門』に著わ されている。彼の教育論とはかいつまんで言えば児童の想像力と創造力を鍛える一種の「ゆとり教育」である。それは言葉遊びやなぞなぞであったり、誤字脱字 から始まる子どもの想像世界への賛歌であり、歴史の禁忌である「もし…だったら」の肯定である。どうだっていいことや瑣末事、くだらないことや猥褻なこと を受け入れる姿勢であり、多様な価値観への寛容であり、多文化=多言語世界の実現でもある。そういった作品観・教育観は、強くて保守的な者を笑い、弱くて 環 境に順応しようとする人を応援する彼の児童文学作品によく表れている。そんな彼の代表作にして最高傑作がこの『チポリーノの冒険』である。

生き ている新しい学校は、ただひとつ、≪創造 者≫のための学校である。いいかえるならば≪生徒≫とか≪教師≫とかの区別は消えて、ひとりひとりが完全なる人間として存在する。(『ファンタジーの文法 ―物語創作法入門』二百九十三頁)

 この作品でおもしろいのは登場人 物である。 まず人物じゃない。たまねぎ坊やのチポリーノ、サクラン坊や、イチ子、レモン大公、ブドウ親方、ナシノ木ナシ男教授、ニラ山ニラ吉、うらなりカボチャのお じいさん、コケモモさん、クリ博士、サクランボ伯爵夫人、ミカン小 公爵、オレンジ男爵、トマト騎士、エンドウ豆弁護士、アメリカニンジン先生にニンジン探偵、ネズミ大将、クモの郵便屋さん、番犬のマスチーノ、モグラおば さん、そしてちびレ モン兵にくずレモン兵と、野菜・果物・動物・昆虫などが主な登場人物である。いわゆる童話に典型的な擬人化であるけれど、それぞれの特徴をよくとらえてい る。たまねぎ一家はにおうし、たまねぎ坊やの皮を剥けば涙がこぼれるし、サクランボ伯爵夫人の大奥様と若奥様はサクランボよろしく枝でつながっている。ち なみにチポリーノはイタリア庶民の食べ物であり、みんなの味方、チポリーノに割り当てられた野菜としてふさわしい。(イタリア語でたまねぎのことは cipolla、チポッラという。)特に大喰らいのオレンジ男爵とわがままなミカン小公爵の性格描写はあまりに特徴的で忘れられないくらい印象的なもの だ。こ のように身近な食べ物を登場人物に据えて、それに見合ったおおげさな性格を造型していくことで児童が物語の世界に入り込むことを容易にしている。これは最 初に考えついた者勝ちなのでずるい、と言っていいだろう。「ずるいぞ、ジャンニ!」

 この作品の内容としては、まず滑 稽さがあげられる。笑いの分野だ。間違った診断をしていていても、馬車に乗ってくるほしキノコ博士やアザミ博士やチサ教授はきちんと待遇されるけれど、馬 車に乗ってこないだけでただ一人正しい診断をしているクリ博士は排除され家宅不法侵入で罰金一万リ ラを払わされる破目になる。それからニンジン探偵とおとも屋の捜索行。ちびレモン兵よりも将軍のほうが多いレモン大公の軍隊。囚人の数を数えられずに囚人 に逃げられてしまい自分も逃亡するくずレモン兵。雨や夕立など空から降る水分にかける税金、などなど。この本はあちこちに上質の砂糖で塗り固められた甘い 笑いで満ちている。これはなんと愉快なお菓子箱だろうか。しかし児童文学にはこういった笑いは不可欠である。なぜなら、少しでも面白くなければ子どもは読 もうともしないし、たとえ読み始めても面白くなければ途中で投げてしまうかもしれない。新書版358ページの分量は小学生にしてはかなり厚いものだ。これ だけの量を児童に読ませようと思ったら、笑いがなければ続かないのは当然と言えよう。これは授業でも同じこと。下はジャンニ・ロダーリの言葉である。

子ど もが、笑いながら学べるものを、泣きながら勉強することに意義があるだろうか?綴り方を間違えたばかりに、子どもたちが五大陸で流した涙をぜんぶ合わ せたら、発電所として利用できるほどの滝となるだろう。(『猫 とともに去りぬ』、二百 七十三頁。)

 日本国民が単なる「学習」ではな く真に「学問」を身に付けて、国民全体の文化・知識の程度をあげようと考えているのであれば、児童のころから笑いと知的なものを結びつけることが大事であ る。学校で、知的なものと先生の怒鳴り声とが結びつけられてしまったら、その人は大人になった時に何か知的なものを振り返ろうとするのだろうか?振り返ろ うとしたその矢先に恐い先生の怒鳴り声 がどこからともなく聞こえてきて、やめてしまうんじゃなかろうか。それって、とっても悲しいことなんじゃないだろうか。

 また、この作品の内容としては残 酷さもあげられる。チュウチュウないてろうそくを食べようとしていたネズミたちがネズミ大将によって十人にひとりの割合で銃殺されたり、牢屋に入れられた 猫がさっきまでチュウチュウないていたネズミのしっぽを口から二百本以上もはきだしたり、レモン大公が大砲の口にちびレモン兵をふたりずつしばりつけて 空中に発射して花火をあげていたり、転がり落ちたオレンジ男爵によって将軍が押し潰されたり。子どもながら読んでいて、なんて残酷なお話なんだろうと思っ た箇所がいくつもあった。しかし、こういう箇所は物語の香辛料である。甘い砂糖菓子ばかりではお腹がくちくなってしまう。時々ピリリと辛い物を食べて内臓 をすっきりさせないといけない。甘さと辛さを同時に楽しめる物語はなかなか得がたいものだ。こういうのを読んで子どもは酸いも甘いも弁えた大人になってい くのであろうか。

 児童は読んでもなかなかそれとは 気づきに くいだろうけれどなんとなく感じるもの。大人がこの作品を読んで特に感じるのは政治的な主張である。或いは権力や権力者を笑い飛ばす力である。「牢屋に は、りっぱな人がはいっていらっ しゃるんだよ。」のどの渇きの前では主人への忠誠も忘れる番犬。前述のクリ博士の話のような権威主義への批判。自分の地位の保全のためにはエンドウ豆弁 護士を欺くトマト騎士。本当は優しいお父さんなんだけれど家族のために仕方なく兵隊稼業をしているくずレモン兵。これらは果物や野菜の国だけの話ではな い。現実の社会でも起こりうる話だし、大人の社会でも、そして子どもの社会である学校でも起こっている問題である。これらの諸問題について ロダーリは巧妙な筋立てで深くその本質にまでメスをあて、そして軽妙に読者を笑わせてみせる。もしこの物語を読んだ子どもが大きくなってこの物語の中に出 てくるような場面に実際に出くわした時に、苦虫を噛み潰したような顔をするのではなく、ワッハッハと笑い出す強さを身につけていることだろう。その強さこ そが、笑いながら読書をして獲得した人間としての力である。その力を私は称揚したい。

Barkituro
チポリーノの冒険(岩波書店)
『チポリーノの冒険』復刊ドットコム

Gianni Rodari ジャンニ・ロダーリのサイト(イタ リア語)

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